第八回
1.共起ネットワーク課題
1964年の東京オリンピックについて
まず、1964年のオリンピックから見ていく。1964年のオリンピックは主にオリンピックの会場建設についての言葉が多くでていた。例えば、改修、施設、計画、整備、環状、首都高速道路公団、体育館などだ。道路公団や環状などは道路の規制をどうするかという問題であると考える。1964年はオリンピックが始まって間もない時期であったため、選手や競技などどう運営していくかについて多く記述があった。あとは、東京オリンピックの際に導入を検討したバレーや近代五種の近代という言葉が多く出ていた。
1964年オリンピック共起ネットワーク2020(2021)年の東京オリンピックについて
2020オリンピックでは五輪という言葉が一番多く使われていた。その理由として考えられるのがコロナだ。コロナで開催できるかわからなかったときに、この言葉が多く使われたのではないかと考える。あとは、日本が強味にしているソフトボールが12年ぶりに開催されることから、ソフトボールという言葉が入った。
2020オリンピック共起ネットワーク
二つの共起ネットワークを比べてみて
まず、決定的に違うのが選手の名前が入っていることだ。これの考察として、1964年はオリンピックが始まったばかりであり、選手にそこまで関心がなかった、どの競技で日本人の誰がすごいのかわかっていなかったことが、理由として挙げられる。これは第二次世界大戦の影響でテレビが見られなかったのが選手を知らないという原因につながると考える。あとは、1964年のオリンピックは開催にあたっての不安になっているところの言葉が多かった。しかし、2020年はメダルや選手などの“優勝”に関する、言葉が多かった。開催にあたっての不安要素の言葉は出てこなかった。この変化の理由としては、1964年はオリンピック開催から間もなかったため、オリンピックを運営するためのテンプレートができていなかったのではないか。加えて、インターネットが普及していなく、IOCとの連携がとりずらかったのも原因であると考える。(テンプレート 敷地の広さ、選手たちを会場まで運ぶこと、競技場の広さがどれぐらいあったらたりるのかなど)一方、2020年は何回も開催してきてたため、他国からの施設に関する情報を得やすい、インターネットが普及してIOCなどと連携を取りやすい、競技場を建築模型できる機械の開発などにより、不安要素に関する言葉がなくなったのではないかと考える。その結果、オリンピックの関心が運営から選手に移り変わり、言葉も変化したのではないかと私は考察した。